RSGT2021

本講演資料は、Regional Scrum Gathering Tokyo 2021 で代表の長沢が、お話ししたものです。

セッション資料

簡易解説

ここでは、簡単に内容について解説させていただきます。

疑い駆動なご視聴のお願い

さて、今回もこのようなスライドからスタートです。「疑え!」というのは、プレゼンする人の言っていること、やっていることが、「あなたにとっても当てはまるとは限らない」、「これを正解と盲目的に捉えないで」というメッセージです。正解のない時代にも関わらず、つらさや焦りからか、正解を求めてしまうのも人間ですから仕方がありませんが、正解かどうかは自分で考えることはきっとできるはずです。

今回のテーマ

今回のテーマはこれです。スクラムが浸透してきて、多くの現場で実践され、複雑な問題に取り組めてきていることはとてもよいことです。しかし、その影でか表でか、「スクラムをやっていなければならない」、「スクラムを実践しているのだからこれくらいやらなければならない」、「スクラムをやっていないなんて、そんな現場は〇〇だ」なども私の観測範囲だけでも耳にするようになってきています。

チームで取り組むことはとても素晴らしく、「グループとチームの違い」など講演もしてきましたが、いったん「個人」にスポットライトをあててみると、ポジティブだけでどうにかなる問題でないものも見えてきました。全体傾向ととして、チーム指向で問題に取り組むことが増えてきていて喜ばしいからこそ、このテーマでお話をしたいと思いました。従って、以下、このコンテキストで話を展開していっています。

2つのモード: 能動態と受動態の対立から、中動態と能動態の対立への回帰を提案

ここでは図解も含めて「ある」モードと「する」モードとして、解説をしていますが、もちろん、この表現方法は、私が今回用に持ち出したもので、正式な用語でも一般用語でもありません。

この動画(の前半)にて図示していますが、自己の内部と外部環境とのやりとりが、「能動態」と「受動態」です。する、しなければならない、される、するべきだといった表現ですね。これは、自己が外部の環境とのコミュニケーションや関係を表現するもので、英語をはじめ、日本語などでもほとんどの表現を表す態になります。

しかしながら、この能動態と受動態以外にも「中動態」というものが(かつて)存在していました。自己内部での表現としての中動態と外部とのやりとりの表現としての能動態があり、受動態はなかったという説があります。すなわち中動態と能動態が対立していたという構図です。これがいつしか、中動態が消えていき、能動態と受動態の対立へと誘われたわけです。これは、自己表現が乏しくなり、常に外部とのやりとりに行動や価値が置かれてきていることを示していると考えました。これを一言で言い表すと、『責任』です。

そしてこの『責任』に押し潰されることで、自己を肯定したり、内発的な動機より、対面的なもの対外的なものが優先される傾向となってきたと考えました。それにり、内発的な動機は窮屈になり、どんな取り組みもとても息苦しいものに見えてきてしまう、自らでコントロールする「余白」がなくなってきてしまっていると感じました。

つらさを探究する

そこでいくつかの視点から「つらさ」の原因を探究してみました。

まずは、「出来事 × 考え = 悩み」です。

「出来事」が外部要因による事実なので、変えることはできません。勘違いすることや誤った事実を収集してしまうことはありますが(この話題は、#RSGT2020 でお話ししたのでした)。「考え」は変えることができるはずです。どうありたいか、どうしていきたいか、これが考えに影響を及ぼすので、これは内発的なものです。つまり「ある」モードのお話しであると言えます。考えは、マイナス思考・プラス思考や、原因思考・目的思考で、大きく振り幅が変わってきます。

次に「痛み × 抵抗 =辛さ」です。

「痛み」は、これまた外部からくる要因です。もちろん、痛みの強度などは自己の中にあるものですが。辛さ(苦痛)は、この痛みに対して、どれくらいの抵抗があるかによって変わってきます。従って、抵抗の持ち方で辛さは変わってくるかもしれないということです。

苦痛をコントロールするには

このように、能動態と受動態で表現できるものはなかなか自己コントロールがしにくいわけですが、自己の内発的なものにとってコントロールはできそうです。従って、中動態的な表現が個人の中で増えてきたら、長男でなくても痛みに耐えられそうです。

中動態

能動態と受動態で表現されるような「責任」に圧されすぎてしまっている状況から中動態で表現できるような内発的なもの、自己完結で自分のために考え、結果が他者ではなく自分に返ってくるものが増えてバランスが保たれるととても強い意志が発揮できることになります。私はあるときから、自己責任でとらえるようになったのですが、それは自己肯定感が高まったタイミングからでした。当たり前ですが、私は完璧な人間ではありませんし、どのエンジニアよりも、どのコンサルタントよりも、どの経営者よりも劣っている自信があります。ですが、それを認めて努力することができるのが私が私であり生きていける原動力であり、魅力であることは肯定しています。たったこれだけでも、たとえ仕事がなくなっても、理解をしてもらえなくても、「その結果になったのは自分の行いであり、そこでどう捉えるかは自分次第」と思う強さにつながりました。

自分に対して自己責任がちょうどいいというバランス

「ある」モードと「する」モードの切り替え

「ある」モード、「する」モード共に特徴があり、どちらか一方だけあればいいものではありません。従って、自分の中で、「ある」と「する」をうまく切り替えられたらいいのではないかと考えたわけです。実際に私はそうやっているのです。

インテグラル理論と「ある」モード、「する」モード

インテグラル理論はこれからも探究したいテーマのひとつですが、そこでも内面と外面、個人と集団(共同)の四象限でみてもすべてが「する」モードだととても辛いことが感覚的にもわかります。逆にどこかに「ある」モードで自己の内発的なものがあれば、他の部分では「する」モードで問題に取り組めそうです。

また、個人の話だけではなく、チームとして、組織としても「ある」モードは存在していることも示したかったためインテグラル理論を用いました。

ちなみにインテグラル理論は、レベルやランクなどより多面的な視点があります。レベルは色で表すことが多く、有名な「ティール組織」のティールもレベルのひとつです。また、アジャイルトランスフォーメーションをインテグラル理論を元にしたフレームワークで取り組む Agile Integral Framework もあります。

スクラムがつらいのはバグ

盲目的にスクラムが優れているとか言うつもりはまったくありませんが、複雑な問題に対してスクラムはとてもよいフレームワークであることは断言しておきます。

そのうちの一つとして、過程の可視化能力を紹介します。運動などは、ビデオに記録したり、数値を測ったりすることで成熟度を見ていきやすいのは経験的にもわかることでしょう。

しかし、知的生産性や行動、学習は、可視化することがとても難しいです。ましてや個人・チームについて測ろうとしたら主観や責任がついて回るため正しく測る方法すら見つけられません。

しかし、スクラムのフレームワークはこれをある程度可能にするほどの優れた部分があります。ここについて詳述するつもりはありません(このセッションの前提として『スクラムガイド』を読んだことがある人としているのはこのためです)。

すべてとは断言しませんが、スクラムでつらいのは、大体がスクラム自体でもなければ、スクラムで取り組んでいるからでもありません。大抵が周辺環境との軋轢・過度の期待、誤解です。その例として、正解主義、前例主義、自前主義を挙げています。

スクラムからはじめるの真意

よくある取り組み方は、上段のようになります。問題があり、それを解決するためのチームが結成され、スクラムを(学び)実践するということになるということです。これは真っ当であり、否定すべき点は本来はありません。問題は、「する」モードであることです。結果として「スクラムをしなければならない」などになりかねず、問題に対して集中しなればならないのに、スクラムを実践することに集中してしまうことがあることを示しています。ご相談いただく大半がこれなので指摘をしています。

それに対して下段は、複雑な問題が多い(私はこれを「正解のない時代」と呼んでいます)のがわかっているならば、最初にスクラムのフレームワークを活用できる「動けるチーム」を作った方がいいです。練兵せずに戦闘に臨むことがないのと同じで、必要なものがわかっているなら理解し、練習し、学んでから臨むべきです。それは、きっと自らが選択したことですから、「ある」モードで取り組めます。

なので、ここでは、スクラムをすることを目的にしようと言う意図はありません。大事なのは目的である問題解決です。ただ、そこに直結する有効な手立てとしてスクラムであり、少数チームがあるならば最初にそれの練度を高めておくべきです。順番変えることで限界が限界でなくなることもあることも示しています。

「する」モードだと気を付けることも「ある」モードなら有効利用できる

ここに挙げた法則や効果は、本来気を付けるべきものです。ですが、人間の脳にはバグがたくさんあるので、それを自己肯定的な方向に向けるならば、都合よく内発的なものを起爆・持続するために利用できます。用法を間違わなければ、これらはとても自分都合で役に立ちます。